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読み終えた本
「日本の朝鮮統治を検証する」
ジョージ・アキタ,ブランドン・パーマー著
思草社 2013年
ほとんど和訳されていない資料からの検証
p55 日本で徴兵令が発布(1873年)されてから,1883年までに,徴兵の抗議する暴動(血税一揆など)が起きたことにに比べ,朝鮮でのそれは目立った騒動もなく施行された。
p67 大隈重信の朝鮮政策。「われわれの朝鮮政策を,永続的な成果を伴うものにするためには,第一に,経済の発展との調和の下になされなければならない。・・・個人間における真に有益な取引では双方が共に受益者となる。・・・(われわれは)隣国,特に朝鮮を犠牲にしてわが国を偉大にすることは,決してできないのである。
p71 原敬は朝鮮の人びとの日本語能力を高め,日本人と同じ教育を施し,朝鮮人議員が将来,帝国議会に進出することは,何の問題もないと考えていた。つまり,北海道や沖縄と同等に扱うというものだった。
p148 ここで読者諸氏は,三つの史実に注目していただきたい。
まず,クーリー氏が称賛する通り,近代日本の政治的発展は早く始まったこと。家永豊吉の”プレゼンテーション”にクーリーが感銘を受けたのは1889年,つまり明治維新のわずか22年しかたっていない時点でのことだった。二つ目は,そのわずか二年後の1891年に,大審院院長児島惟兼と判事たちが日本における司法の独立のために決定的な役割を果たしたことである。そして三つ目はミリューコフが1903年にアメリカで家永(豊吉)の講演を聞き,その内容を高く評価したことである。
それから1世紀以上の歳月が流れた現在,中国は相変わらず共産党の一党独裁体制である。・・
※大津事件でニコライ皇太子を襲った巡査を,司法の独立により正当に裁いたことを受けて。
p173 欧米と日本の植民地政策を比較して・・
英国ダーラム大学のキース・プラット氏は,朝鮮における日本の朝鮮統治の最初の十年を「恐怖の統治」と呼んでいる。だが,朝鮮人民が直面した「恐怖」は,実際には,これまで述べた欧米の宗主国による強制労働,強制収容所あるいは人種差別政策とは比べようにないようなほど緩やかなものだった。
第一に日本は,オランダ領東インド諸島,あるいはイギリス,フランス,ベルギー,そしてポルトガル領アフリカの植民地で等しく見られた強制労働に頼っていない。第二に,日本は,1907年から1910年までの間に起こった抗日武装運動を鎮圧するにあたって,民衆を強制収容所に収監していない。だがこれはアメリカも,ドイツも,イギリスもそれぞれ植民地で実施したことなのである。そして第三に,日本は朝鮮に経済・産業・教育等のインフラストラクチャーを構築すべく,他の植民地保有国のいずれよりもはるかに多くの努力を払っているのである。
p177 それでも日本が進もうとした方向は正しかった。朝鮮総督府は「漸進主義」を実施する中で,中等教育を発展させる前に,あらゆる村落にまず小学校教育を浸透させることで精一杯だった。1939年には,単科大学および師範学校在籍の学生数は6313人。それに加えて,合計206人の学生が当時の朝鮮では唯一の総合大学だった京城帝国大学(創立1925年)に在籍しており,さらに数千名の朝鮮人学生が日本での教育を受けていた。1942年の時点で,約1万4千人が日本の中学校に通っており,さらに6771人が日本の単科大学あるいは総合大学で学んでいたのである。
p183 日本が朝鮮で行なった最大の投資は,広範な鉄道網の構築だった。・・他に化学・食品・繊維・金属などへの投資を「朝鮮の福祉は本国日本人の犠牲の上に成り立っている様なものだ」と日本人のある学者は評している,という。
百貨店の7割の客は朝鮮人だった。
p186 1905年から1945年の間に,朝鮮では一度も飢饉が起きていないことは注目に値する。
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