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その反面産業化の進行とともに肺結核による死者はかえって増加した。明治33年には年間7万2千人弱だった肺結核及び結核性疾患による死者は大正元年には11万4千人余りと1.6倍に増えた。若者の死亡原因で最も高い比率を占めるに至った。
p169
大正8年のパリ平和会議で、日本は5大国の一つとして、国際連盟加盟国は、人種差別を撤廃せよとの条項を盛り込もうとしたが、アメリカは人種差別問題は自国内の問題であり内政干渉にあたるとし、イギリスも白豪主義のオーストラリアの強い反対にあって、両国とも日本案には賛成しなかった。
p174
大正11年のワシントン海軍軍縮条約以降、陸軍も4個師団を廃止。それ以降、職業軍人に対する世間の目が厳しくなった。これがやがて不満を詰まらせ急進派軍人たちのテロやクーデターと言う直接行動を生み出す背景となった。
p183
国政選挙で女性参政権が認められたのは1893年のニュージーランドが最初。ドイツでは第一次大戦後,ヴァイマール憲法での1919年,アメリカでは翌年1920年,イギリスでも1928年。フランス・スイスでは,第二次大戦後の1945年・1971年だった。日本では1945年。
p223 「日本ファシズム」論をめぐって
このコラムでは「・・・確かに日本では,ファシズムの最大の特質と考えられるナチス流の強力な一党独裁体制を欠き,ヒトラーのような独裁者も出現せず,政治的反対派に対する徹底した大量粛清もなかった。天皇機関説の否認,国家総動員法の制定,大政翼賛会・翼賛政治会の成立(複数政党制の解消)などにより,明治憲法の立憲主義的側面は制定者の意に反して大幅に後退し,議会の権限は弱体化したが,憲法自体は改廃されなかったから,ドイツのナチス独裁やソ連の共産党独裁のような強力な独裁体制を作り上げることは困難だった。・・」
*日本の戦前の政治体制がよくわかる。確かに日本は軍国主義の国として進んでいってしまったが,ファシズムの国ではなかった。
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